BEAYS(新装版)

本と図書館のことについて、つらつら書いてゆくblogです。

発見を生む図書館

"CA1798 -本と出合える空間を目ざして―恵文社一乗寺店の棚づくり―"を読んだ。良かった。

決まった本を素早く的確に探せるような検索性や利便性は、オンライン書店、大型書店に任せて、モノとして魅力にあふれた本をセレクトし、一定のテーマでゆるく並べる。そうすることで、お客様が「「知らないことすら知らなかった」世界に触れるきっかけを作ること」が自分たち中型書店の使命だ、と著者の堀部篤史さんは述べている。至言だと思う。

図書館は、本と人を結びつける場とよく言われる。確かに、その人が求める本を手渡す仕組みや技法、技術はかなり整備されてきているけれど、一方で、その人が思ってもみなかった本にうまく出合えるような工夫の例は、あまり聞かない。少なくとも、個々の営みとしてはともかく、標準化されているとは言い難い。

一般的な図書館の取り組み事例としては、展示が挙げられる。でも、貴重書展のような、ケースを使った展示だと、モノとしての本の貴重さ伝えたり、配置に意味をもたせたりすることはできるけれど、本は手に取ってなんぼ、読んでなんぼ、ケースごしの「出合い」は何か違う気がする。一方、貸出しできるようなオープンな展示だと、本との距離は近いけれど、借りてもらうことに主眼が置かれていることもあって、本の並びから展示担当者の意図をにじませたり、意外な本との出合いを演出したりするのは難しい。

システムでいえば、Webcat Plusのような連想検索は、「出合い」に近いものを既に実現してはいる。でも、その検索結果には、むしろノイジーな印象が強い。検索結果が、モノとしての魅力(=多様な情報)にあふれた本そのものではなくて、書誌情報や書影だけだと、コンピュータの作りだした連想についていけなくて、ハズレ感が強くなるのかもしれない。同じ連想検索の仕組みと実際の棚を組み合わせた、千代田区立図書館の「新書マップ」は面白い試みだったのだけど、残念ながらなくなってしまったようだ。

規則的な配架にこだわらない図書館といえば、六本木ライブラリーBIZCOLIのような会員制ライブラリーで行われていることが多い。わかってる人のための特別なサービス、といった風情。でも、普通の公共図書館でも、意外な本と「出合」えるスペースがある。それは、新刊棚。新しい本だから、というのはもちろんだけれど、最近受入れした本、というゆるいくくりで、全分野の本が一覧できる、というのが大きい。

「書店も図書館も同様、これからは本にアクセスしやすい場所ではなく、思わぬ出合いを提供する場としてその存在意義が問われるだろう。(中略)足を運んでくれたお客様を知の森へと誘い込むため、発見を誘発する「棚づくり」こそが課題となってくるだろう。」と、前述CAの文章を堀部さんは締めくくっている。普通の公共図書館にも「本との出合い」を求めてるお客様がいて、普通の公共図書館なりに、それに応えることができるんじゃないか、社会教育施設として図書館に求められるのは、まさにこれなんじゃないのか、と思う。どこから手を付けていいか、まだ全然見えないのだけど、あたしの中で、これからの大きな課題だ。

ちなみに、「公立図書館の任務と目標」46には、「図書館は,すべての資料が利用者の求めに応じて迅速,的確に提供できるよう,統一的にその組織化を行う。」とある。ここには、お客様が思いもしなかった、顕在的には「求め」ていなかった本も、「的確に」提供できるようにすること、も含まれていると、勝手に解釈している(個人的な解釈の問題なので、エライ人怒らないでください)。

非読書家による「読書案内」

読書案内が苦手だ。

図書館で仕事をしてるからには読書家に違いない、という先入観をもたれやすいのは仕方のないところだけど、飲み会とかで初対面の人と一緒になると、たいてい「おススメの本は?」と聞かれる。そして、この場合の「本」とは、何かしら小説の類を期待されていることが多い。とても読書家とはいえない当方の場合、「申し訳ないですが、日本の小説はあまり読まないのです(マジで)」、とか言ってお茶を濁すことがシバシバだ。

職場のカウンターで同じことを聞かれたときは、さすがに、「どんな本が面白かったですか?」とか、「好きな作家さんは?」といったレファレンスインタビューでなんとかとっかかりを見つけて、それに合うものを探すのだけれど、それにしてもうまく答えられた覚えがあまりない。

何しろ、小説の類を探すときには目録検索が通用しないことがほとんど。同じ作家の著作を探すのなら問題ないけど、「これと似たような小説」を、と言われたときにどうするか。

分類番号でも件名でも、その小説の中身まではわからない。MARCのあらすじや内容紹介も、最近は充実してきたけれど、ストーリーのさわりを紋切り型に紹介しているだけで、検索するにはキーワードが少なすぎる。結末が明るい話を探すとか、ほぼ不可能。

『絵本の住所録』のような、定番のレファレンスブックやツールもない。ジャンルごとのガイドブックは星の数ほどあるけれど、それ自体が読みもの的だったりして検索性の低いものが多い。日外アソシエーツの『読書案内』シリーズなんかは、小説に特化したものは90年代刊で、ちょっと古い感じ。絵本のように長く読み継がれるものが基本書として存在するわけでもなく、流行り廃りが激しい上に、あまりに多様で一冊の文量も多い小説の類は、ツール作成者泣かせではある。

レファ協にて「読書案内」で検索してみると、やっぱりそれらしい事例は少ない。2つ紹介してみる。

「85歳の母が病院(入院している)で読む小説を紹介してください。ミステリ、時代小説、暗い話、ホラーは読みません。」(日進市立図書館)

入院されているお客様のためとあって、暗くない話を、との心づかいはさすが。ただ、どうしても「自分が読んできた中でいくつかピックアップ」という方法を取らざるを得ないのがつらいところ。

「「ヘンリーくん」シリーズと同じくらい面白い本を紹介してほしい。8歳の娘のクリスマスプレゼント用にしたい。娘は同シリーズを読破し、台詞を覚えるほどに読み込んでいる。去年のプレゼントの「ロッタちゃん」は面白くなかったそうで、一度しか読まなかった。ケストナーはいまひとつ、レオ・レオニは嫌い、松岡享子は好き、「ハリーポッター」はわりと面白かった、と好みがはっきりしている。」(福井県立図書館)

児童書だけど、いかにもな事例なので紹介。「「ヘンリーくん」シリーズと同じくらい」って、ハードル高いな。まあ、お客様の好みがはっきりしていると、絞りやすくて助かる。でも、「自分では手に取らないけど、薦められて読んでみたら面白かった」的な、セレンディピティ体験もして欲しくて、選ぶ方としては悩ましいところ。この事例では、主にブックリストと同僚の意見から選んでいて、おそらく調査者自身の読書体験も選定の判断基準に含まれていると思われる。

登録事例が10万件とっくに超えたはずのレファ協でも、主だった事例はこれくらい。せめて事例の共有くらいしようよ、と思う。登録されにくい(=記録されにくい)のは、自身の読書体験が、調査や資料選択の根拠となっていて、客観性・再現性がないためかな、とも思う。

読書案内を求めているお客さまの方にも、たくさん本を読んでいる(はず)の司書ならではの生の声を聞きたい、「司書であるあなたが読んで面白かった、私におススメの小説」が知りたい、という期待はあるはず。カタログやツールから客観的に選んだ本は、そもそもお呼びでないのかもしれない。

児童サービスの鉄則の一つとして、とにかく絵本・児童書を読む、というのがよくいわれる。結局、読書案内のためには、仕事としてとにかくたくさん本を読んでね、ということか。まあ、どんだけ読めばいいんだ、という話ではある。

書評家やブックディレクターと呼ばれるような人たちはもちろん、書店員さんも、たぶんプロとして、自分の好みに関係なく、無数の本を読み続けているのだろう。司書だって、自分の商材と無縁であるわけにはいかない。でも、読書経験の多寡にかかわらず、オススメ本を効率よく探して提示する技法やツールを駆使できるのが、本を探すプロってもんじゃないのか、とも思う、今日コノゴロ。

レファレンス記録を書く、ということ

レファレンスの何がしんどいって、事後の記録を書くのが一番しんどい。

回答とその典拠はもちろん、後で他人が見てもその調査を再現できるように、調査メモを見返しながら、あるいは経過を必死に思い出しながら、調査戦略(みたいなもの)とその結果を時系列に整理して書いていく。調べたけれどもあえて回答しなかったことや、時間切れで未見だけれどこの資料にありそう、みたいな情報も追記する。他の仕事の合間に細切れに調べたり、壁にぶつかってヤケクソでブラウジングして、たまたま回答らしきものにたどり着いたりすることが多いから、調査過程を整理するだけでも一苦労だ。

ただ、すごくタメになっているなという気はする。一連の調査の流れを見渡したとき、ここはまだ突っ込みが足りなかったなとか、後でこれを見たら載ってたから、先にこっちに喰いついたのは非効率だったなとか、記録を付ける段になっての気付きが多い。ツールや方法論を身につけること、調査やインタビューの実戦経験を積むことももちろん大事だけれど、レファレンス記録を書くことによる学習効果は馬鹿にならない。

たまたま今読んでる『プレイフル・シンキング』という本にも、自身の行動を後から振り返る、つまり「省察」することとの重要性が挙げられている。また、自らの体験を「アウトプット」することは、インプットされた知識や情報を自分なりに咀嚼する「創造的借用」が行われる、とある。結果として自他共に学ぶことができるというわけだ。

一人のお客さまに満足していただいてそれで終了、なんてもったいない。記録し、共有、自館サイトやレファ協で公開することによって、自分も、図書館も、そしてより多くのお客様の学びにつなげることができる。

と、自分を鼓舞しつつ、めんどくさいレファレンス記録をしこしことまとめる今日コノゴロなのであった

カーリルで開く

はてなブログに移行してみました。

はてなブログ図書館支援プログラムを記念して、ダイアリーからブログに移行してみました。来るべき自館ブログ立ち上げをにらんで、というか、祈念してという感じです。

例によって細々と続けてまいる所存です。よろしくお願いします。

アクセシビリティ狂想曲

国立国会図書館が、先日(つってもひと月くらい前だが)、「国立国会図書館ウェブアクセシビリティ方針」を発表した。いわゆるウェブアクセシビリティのJIS基準に基づき、等級AA準拠を、ウェブサービス全体に適用することを目標に、順次対応する、とのこと。
ウェブアクセシビリティへの対応については、総務省が、「みんなの公共サイト運用モデル改定版(2010年度)」の「ウェブアクセシビリティ対応の手引き」のなかで、国や地方自治体の既設ウェブサイトについては、2012年度末までに方針策定・公開、2013年度末までに等級A、2014年度末までに等級AAに準拠することを「目安」として示しており、これに従ったものと思われる。
やや遅れ気味とはいえ、ちゃんと自前の方針を出してるあたり、さすが国会図書館だなと思う。また、達成までの期限を必ずしも明確にしていないことや、CMSの管理下にないコンテンツを「例外事項」にしているあたり(いくつか同様のサイトがある。例えば、総務省こんな感じ)、よくわかっていらっしゃる(失礼)と思う。
件のアクセシビリティ対応、まじめにやろうとすると相当大変。何も考えずにこぎれいに作ったサイトには、文字色と背景色のコントラスト比が足りないとか、位置指定が相対値になってないとかの「問題点」がわんさかあるはず。個々のページのタグを打ち直していたらきりがないので、CMSで直せるところを直す、という対応にならざるを得ない。また、これほどコンテンツが多様で数も豊富なサイト全体を、あと2年で修正とか無理な話である。期限を切って中途半端な対応に終わるより、図書館サイトのモデルケースとして、順次でもきっちりと対応してほしい。

それにつけても、この件、地方自治体の公立図書館サイトの対応はどんな感じなんだろう。下手すると2013年度末が対応期限になってるトコもあると思うんだけど、あんまり話題になっているような気がしない。国が示してるのが「目安」だから、とりあえず静観というところが多いのだろうか。それとも、担当者だけが、水面下で阿鼻叫喚のデスマーチに泣いているのだろうか。

図書館サイトの場合、普通の自治体のサイトより対応が難しい点がある。図書館サイトは、地方自治体の公式サイトからは独立していることが多く、予算も別建てだろうから、仕様作成や予算獲得で後手後手に回ることが考えられる。おまけに、サイトのキモである蔵書検索の対応がこれまた面倒だ。入力フォームがわんさかあるから、ラベリングやキーボード操作への対応が求められるし、吐き出される検索結果もtableタグだらけだったりして、システムから作り直す必要さえある。ただでさえ使いにくいことで知られるWebOPACには、アクセシビリティ・ユーザビリティなどという概念は今まで存在しなかった、といっても過言でない。

これを機に、JIS規格に対応したWebOPAC標準装備のシステムが、増えるといいな、と思う。ちなみに、都道府県立図書館でframe使った横断検索を見かけるけれど、あれもたぶんアウトだと思う。総合目録形式の横断検索が今後増えるかも。

ブックフィニッシュと戒老録

久しぶりに現場に戻ってもう一つ気がついたことは、お年寄りのお客様が増えたな、ということ。印象論だけど、確実に多くなっている気がする。大活字本の充実とか、高齢者向けのサービス強化は待ったなしの状態。

それでふと思い出したのが、ちょっと前に読んだ『高齢社会につなぐ図書館の役割』にあった「ブックフィニッシュ」なる概念。「フィニッシュ」の語感は微妙ではあるけど、乳幼児向けのブックスタートに対応するものとして、リタイア組の図書館活用を促すための試みはもっとされてもいいように思う。

むしろ、プレ「フィニッシュ」的なサービス、40代後半から50代の高齢者予備軍に向けて、老後に対する漠然とした不安を低減したり、物的・精神的な備えを始めたりするための本や情報を、もっと積極的に提供する必要がある気がする。曽野綾子さんの『戒老録』じゃないけれど、年を取る前に知っておきたかった、考えておきたかった、ってことは多いんじゃないかなあ。

ただ、予備軍にとっては、老いについて考えるのは嫌なこと、忌避すべきことだったりするから、需要はないよなあ、きっと。

「現場」に戻ってきました

2年ばかり図書館から離れていましたが、めでたくお勤めを終えて、娑婆ならぬ現場に戻ることができました。戻ってきた記念に、縮小更新。

戻ってみると、システムは替わってるわ、人は代わってるわ、すっかり浦島太郎状態。というか、むしろ、覚えてること、忘れてること、新しく変わったことがまぜこぜの初期認知症みたいな状態に。Good greif! ま、嘆いてばかりもいられないので、ボチボチやります。

それにしても、戻って一番感じることは、上(首長、執行部、議会など)が今何を考え、何をしているか、全く伝わってこないなあ、ってこと。役所の末席に座ってると、他所の部署からいろんな情報が入ってくるし、周りから協議や電話の声が否応なしに聞こえてくるから、なんとなく我が自治体の向いてる方向がわかるのだけれど、出先ではそれがない。「流れてる時間や空気が違う」ってこんな感じなんだろうか。

すぐに慣れてしまうんだろうなあ。慣れないでいられたら、逆になかなかすごいな、と思ったり。