BEAYS(新装版)

本と図書館のことについて、つらつら書いてゆくblogです。

棚の透明度

ずいぶん前に読んだ井上ひさしの『自家製文章読本』に、「透明文章の怪」という章があるのを、書架の整頓中にふと思い出した。
いわく、文章そのものを感じさせない、修辞や技巧を労さずとも文意がすっと伝わる「透明な」文章こそが素晴らしい、とする文章家たちの主張はそのまま受け取ってはいけない、そもそも文章は読み手を(良い意味で)つまづかせ、おっと思ってもらわないといけない、「透明」だとされる名文も一見そう思えるだけで、実は技巧や修辞が凝らしてあるのだ、云々。
棚にも透明度があるような気がする。お目当ての本がすっと見つかる、ファインダビリティの高い棚は、透明度の高い棚。逆に、こんな本があったのか、とか、この本の隣にこの本がくるか?、と、驚きや発見のある棚は、透明度の低い棚。というよりは、鮮やかに彩色されたアーティスティックな棚というべきか。方向性は違えど、どちらもその目的を達するために、相応のアイデアや技巧、気配りが必要な、手のかかった棚だ。配置や表示、OPACなど、工夫の余地はいくらでもある。
NDC100区分で漫然と並べたよくある図書館の棚は、さしずめ半透明の棚?、それとも迷彩の棚? 目当ての本を見つけにくく、さりとて意外な発見があるわけでもない、ぼんやりぼやけた、あいまいな棚。
棚は図書館の顔。バッチリ決めるのも、すっぴんメイクにこだわるのも自由だけど、お手入れなしの素顔を堂々とさらすのもどうかと思う。