BEAYS(新装版)

本と図書館のことについて、つらつら書いてゆくblogです。

さびしがりの神様と、首飾りと魔法のカギのお話

昔々、あるところに、小さな国がありました。その国の人々は、一人の神様を敬いながら、つましく暮らしておりました。

神様は、愛すべき人々がつましく暮らしている様に感心し、褒美として、一人一人に「真の名前」を与えることにしました。この「真の名前」を唱えると、神様と話をすることができるのです。

でも、その国の人々は、神様を大変敬っていましたので、「真の名前」を唱えて神様と直接話をしようなんて不届き者は一人もいませんでした。それに、この「真の名前」は、一人一人違っているうえに、とても長くて覚えにくかったのです。ですので、みんな、ありがたいとは思いながら、「真の名前」のことはあまり気にせずに、相変わらずつましく暮らしておりました。

神様は、そんな人々を更に愛おしく思いながらも、「真の名前」を唱えて自分と話そうと思う人がほとんどいないのを、ちょっとさびしく思いました。神様は、愛すべき人々が、もっと手軽に自分と話せるようにすべきだ、と思いました。そこで、ウサギの精に命じて、「真の名前」の力を封じ込めた首飾りを作らせ、すべての人々に与えることにしました。一つの首飾りには、それをもらった人の「真の名前」が封じ込まれています。首飾りを身につけて念じるだけで、その人が「真の名前」を唱えたことになり、神様と話をすることができるのです。

でも、その国の人々は、神様を大変敬っていましたので、神様から授かった首飾りを万が一でもなくしたりしたら大変だと考え、ウサギの精のところに首飾りをもらいに行こうなんて人は、ほとんどいませんした。そもそも、この首飾りを落としてしまって、それを拾った誰かが自分に成りすまして、恐れ多くも神様と話をするなんてことになったら、と考えると、ちょっと怖いな、と人々は思いました。ですので、みんな、ありがたいとは思いながら、首飾りのこともあまり気にせずに、相変わらずつましく暮らしておりました。

神様は、首飾りを受け取った人が思ったよりもずっと少ないのを残念に思いました。成りすましなんて、神である私にかかればすぐわかってしまうのに、何を恐れているんだろう、人々に首飾りをぜひ欲しいと思ってもらいたいものだ、と、神様は考えました。そこで、イヌの精に命じて、首飾りにちょっとした特典をつけることにしました。首飾りの鎖の部分に、魔法のカギを付けたのです。この魔法のカギは、その国の人々が共同で使う倉庫を開けるためのものでした。

その国の倉庫には、大事な巻物がいくつもしまってあって、人々は何か困ったことがあると、番人に頼んで倉庫に入れてもらい、役に立ちそうなことが書いてある巻物を探すのが常でした。その国にはたくさんの巻物と、それを保管するたくさんの倉庫がいたるところにありましたが、何しろ大事な巻物が入っているものですから、それぞれの倉庫に入るには、それぞれ別の許可証が必要でした。でも、首飾りの魔法のカギが1本あれば、いちいち許可証を見せなくても、どの倉庫でも開けて入ることができるのです。

でも、その国の人々は、神様を大変敬っていましたので、神様から授かった首飾りと魔法のカギを万が一でもなくしたら大変だと考え、ウサギの精のところに首飾りをもらいに行った上に、イヌの精のところに行って魔法のカギを付けてもらおうなんて人は、これまたあまり多くありませんでした。それに、魔法のカギは確かに便利に思えましたが、ただカギをもらうだけでどんな倉庫も開けられるわけではなかったのです。

魔法のカギを使うためには、まず先に、使いたい倉庫の番人に許可証をもらってから、イヌの精に使いたい倉庫の許可証を見せ、カギにその倉庫を開ける魔法をかけてもらう必要がありました。おまけに、倉庫に行って鍵を使うときには、その都度、入口で「イヌの精様、お願いします」と念じなくてはなりませんでした(まあ、ちょっとしたことなんですけどね)。そもそも、あちこちの倉庫に行ってたくさんの巻物を探さないといけないようなひどく困ったことなんて、そうそう起こりません。あれば便利かもしれないけど、ぜひ欲しいというわけでもない、と人々は考えました。やっぱり、落としたりなくしたりしたら困るし、と。ですので、みんな、ありがたいとは思いながら、首飾りのことも魔法のカギのこともあまり気にせずに、相変わらずつましく暮らしておりました。

神様は、首飾りと魔法のカギを受け取った人が思ったよりもずっとずっと少ないのを残念に思いました。魔法のカギの仕組みををうまく使えば、もっといろんな便利なことができるはず。神様は、今日もウサギの精やイヌの精と話し合いをしています。すべての民草が、首飾りと魔法のカギをいつも身につけていて、今日はどこへ行き、どんなものを買い、どんなことを考えたか、首飾りの力によって、神である自分に気軽に話してくれるような、のどかで平和な世の中になることを、さびしがりの神様は願っているのです。

(このお話はフィクションです。マイ〇ンバーカード及びマ〇キープラットフォームとは一切関係がありません)

分類の未来と客観性と~『自然を名づける』を読んで

久々に面白い本を読んだので、久々に書いてみる。

読んだ本は、コレ。

カーリルで開く

書架の整頓しててたまたま手に取った本で、職業柄、興味が湧いてきたので読んでみると、これが面白かった。

ヒトが、食べ物や外敵を見分ける(=分類する)ために発達させてきた「環世界センス」。身の回りの生き物を見分けることのできるこの直観的な能力を、リンネをはじめとする分類学者たちは分類法として一般化した。でも、環世界センスはあくまで主観的なもの、それに基づく分類法と分類学は、客観的な「科学」となるために迷走を続け、ついに分子生物学と出会って環世界センスと訣別、めでたく「科学」として認められるにいたった。しかし、その代償は大きかった。

分類上、魚類は存在しない、と公言する現在の分類学は、どこまでも環世界センスに縛られている普通の人々の認識からかけ離れたものとなった。それと歩調を合わせるように、生き物に対する人々の関心は薄れてゆくばかり。葉っぱの形や鱗の色を見分けるために使われていた環世界センスは、今やスーパーの売り場で商品のロゴマークを見分けるために使われる始末。著者は、環世界センスを取り戻さなくては、と主張する。客観性一点張りではなく、人々の理性と感性をともに満たしてくれる、魅力あふれた生き物の学問としての分類学が、今、求められている、云々。

リンネやダーウィンの話は何となく知っていたけれど、それ以降の分類学の歴史については初めて知ったことばかりで、とても面白い。長らく行われていた分類は、実は環世界センスに基づいていて、極めて主観的だった(足の形が似ているから近縁って、近縁であるその根拠は誰も説明しなかった)ってのもびっくり。その後、コンピュータの発達から、特徴を数値化して統計的に比較することで分類する数量分類学が生まれ、分子生物学の発達がDNAから進化の系統を読み取る分岐学をもたらしたとのこと。科学としての客観性が、科学離れ、生物離れを結果的にもたらす。父親殺しで結局自らもがんじがらめに、ってパターンか。

閑話休題。わが業界も長らく本の分類を生業の一つとしているけれど、本家の分類学に倣っていえば、いまだ環世界センス的なものに基づいて、主観的に分類している段階といえるんじゃなかろうか。いちいち通読してたらきりがないから、書名や目次、梗概といったわずかな手がかりから、NDCやNDLCという羅針盤によりながら、その本の分類上の位置(つまりは本棚の位置)を決めていく行為は、まさに生物の分類と同じ。そして、客観的かつ絶対的な正解があるわけではなく、分類するカタロガーの判断によるところが大きい。極端な例だと、タレントさんが書いたエッセイは、タレント本としての分類(778)だったり、エッセイとしての分類(914)だったりする。まあ、学問じゃないから、どこにあるか判ればそれでいいんだけどね。

そのうち、本もフルテキストデータ化された上、テキストマイニングで分類するような時代が来るのかしらん。○○と××という単語が頻出するから、とか、比較検討した結果、この本のこの部分は、別の本のある部分を受けて書かれている可能性が86.2%だから、とかで、客観的かつ自動的に分類されるようになる日が来るのかも。それって、やっぱり普通の人の「この本はここにありそう」感と食い違うものになったりするんだろうか。それとも、ただでさえ絶滅危惧種のカタロガーさんは、近い将来、完全に息の根を止められるのか、などなど、妄想するのも面白い今日コノゴロ。

歓送迎会雑感、あるいは、図書館は図書館で働く非正規の若者に何ができるか

今年も出会いと別れの季節がやってきた。

この業界、人の出入りがホント激しいのでいつものことではあるんだけど、スキルとノウハウを備えたベテランが何を残すことなくあっさりいなくなり、可能性に満ちてはいるけれど即戦力とはなりえないフレッシュマンがやってくる(やってこないこともある。合掌)。

そして、去る人も入る人も、いわゆる非正規の人が増えてきている。彼ら彼女らが数年かけて得たスキルとノウハウは、雇用期間という名の壁にぶつかってあっさり消えてしまう。

いや、その人の経験としては残るけれど、それが再び活かされる機会は必ずしも多くない。経験に応じて報われる形で生かされる機会はなお少ない。

図書館は社会教育施設である。社会教育施設は、学ぶ意思がある人にその機会を与える教育機関である。社会教育施設としての図書館、社会教育に従事する者としての図書館員が、ほかでもない図書館で働いている非正規の人たち、多くは若者で、少なくとも今後も図書館で働きたい、という意思のある人たちに対して、何ができるのだろうか。何かしているのだろうか。

制度をすぐすぐ変えることはできない。図書館で格差解消、とはいかない*1(らしい)現実もある。やりがい搾取へのうしろめたさに対する代償行為なのかもしれない。でも、数年でいなくなってしまう人たちに、次につながる何かを見つけて、身につけてもらいたい。それができなくて、何の社会教育施設だ、とは思う。

「いや、そんなことはいいから、早くその席からどけよ」と言われると、ちとつらいけれど。

実録「図書館員が帯状疱疹になったら」

先日、帯状疱疹になった。今はもうほとんど治まっていて、結果としてはそれほどひどい症状ではなかったのだけれど、せっかくの機会とばかり色々調べたり読んだりしたので、ちょっとパスファインダー風味の実録にまとめてみた。


1 発症

あるお休みの日、家でゴロゴロしていると、なんとなく左わき腹が痛い。ピリピリというか、ジンジンというか、たまに出る肋間神経痛の痛みと少し似てる。体表でもなく、臓器でもなく、でも体の中が痛い感じ。寝相が悪くて肋骨の疲労骨折でもしたのかな、まさかね、とか思う。

家人に話すと、「帯状疱疹じゃないの」と言われる。帯状疱疹と言われて思い浮かぶのは、「お年寄りがなる病気」「ひどく痛いらしい」ということくらい。発疹はないし、まさかね、とか思う。でもちょっと不安になる。

ひとまず、ネットで公開されてるメルクマニュアルの家庭版で、帯状疱疹の項を見てみる。メルクマニュアルは、言わずと知れた、世界中で出版されている医学書で、太っ腹なことにオンラインで無料公開されてる(もちろん日本語)。ちょいと刊行年が古いのが玉に傷(帯状疱疹の項は「原書最終査読/改訂2007年2月とある」)だけど、何しろ元が本だけに信頼できる。それに、こういう医学事典には、たいてい「症状が悪化するとこんなに大変」的なことが書いてあるので、最初にこれを読むのが病院嫌いの自分への脅しとして大変有効。

さて、帯状疱疹の項には「ウィルス性の感染症」「原因不明だが免疫機能の低下した時に起こりやすい」「体の片側に、帯状に痛みやピリピリした感覚があり、後に水疱ができる」「効果的な治療のためには早めの受診」などと書いてある。帯状疱疹後神経痛という後遺症っぽいものもあるらしい(後遺症はカンベン)。思えば確かに、最近、出張続きで生活パターンも不規則になって、お疲れ気味だった(からゴロゴロしてた)。とりあえず明日、病院行くことにしよう。「帯状疱疹」でググると、皮膚科の病院のサイトがいくつか出てきたから、皮膚科でいいのかな。

2 通院と静養

次の日、定時で帰らせてもらって、職場近くの皮膚科に行く。先生に症状を話して、痛むところを見せると、昨日の夜までは何ともなかったのに、図ったかのようにばっちり発疹が。「帯状疱疹ですね」とのこと。「薬をきちんと飲んでしっかり休むこと」「神経がウィルスに攻撃されて痛みが出るので、修復のためにはビタミンBをとるといい」と言われる。飲み薬と塗り薬、痛みどめを処方してもらい、隣の薬局へ。薬剤師さんから「抗ウィルス薬は申し訳ないけど高いんです。申し訳ない」と言われる。今までそんなに値段のことを言われたことがないなあ、と思いながら支払いすると、確かに目の玉飛び出るくらい高かった(小遣いが……)。一旦職場に帰って、無理を言って1日だけ休みをもらう。カウンター当番代わってくれた後輩に多謝。

医学事典だけではわからないこともあるだろうから、帯状疱疹についての本も読んでおこう。治療法や薬は日進月歩なので、病気の本はなるべく新しいのを読んだ方がいい(ちなみに、医学書の賞味期限は5年くらいらしい)。職場の蔵書検索でフリーワード「帯状疱疹」で検索すると『帯状疱疹・単純ヘルペスがわかる本―正しい予防と治療』がヒット。2014年刊と新しく、出版社は医学・福祉書をよくだしてる法研。著者も、略歴をみるかぎり、医大勤務後に開業してて、ウィルス関係の学会にも属しているお医者さんのよう。これにしよう。

帰って読んでみる。さすがに、一般向けの医学書だけあって、写真やイラストが多くてわかりやすい。字も大きいし。病気のメカニズムや薬の説明もさることながら、「温めると痛みが治まるので入浴やカイロが有効」といった、日常生活に即した小ネタが載ってるのが一般向け医学書のいいところ。確かにお風呂に入るとしばらく痛みが治まっていた。

そういえば、ビタミンBをとると神経にいいって皮膚科の先生が言ってた、と今さら思い出した。家の本棚をみてみると『薬剤師がすすめるビタミン・ミネラルの使い方』という本があったので読んでみた。ちょっとした栄養素の欠乏から来る不調を、適度にサプリなどで補うべく、こういう病気・症状がこういう栄養素に関係しているというのをまとめた本。手元の第2版でも2001年刊と古くて、決して読みやすい体裁の本ではないけれど、出版社は理系の専門書では定評のある丸善だし、著者も薬剤師さんなので、まあ良しとする(未読だけど同著者で『新版 薬剤師がすすめるビタミン・ミネラルのとり方 』という本もあるようだ。2010年刊なのでホントはこちらがよいのかも)。巻末に症状ごとに関係する栄養素がわかる索引がついていて、確かに神経の項にはビタミンB群が挙げられている。特にB12では「刺すような神経痛、麻痺を緩和」するとあって、これがよさそう。B12を多く含む食品の一覧表も載っていた。魚介類やレバーに多く含まれているようだ。まあ、そればかり食べるわけにもいかないので、手近にあったビタミン系のサプリを、成分表をみた上で飲んでおくことにする。ちなみにこの本、これこれの栄養素はこの症状に「有効(有益)であるかもしれない」という書き方がされていて、抑制した筆致が好感度高い。

3 予後

さて、薬を飲んで1日休んで、その翌日から痛み止めを適宜使いつつ仕事に行く。脇腹の痛みが気になって、歩いていると自然と前かがみになってしまうし、階段の上り下り(書庫7階まで階段で上がる!)が辛い。我慢すれば動けないほどではないけれど、痛むのは痛むのでゆっくり読書もできない。こういうとき本は無力だったりする。それでも1週間もすると、痛みがかゆみになって、次第に発疹も治まってきた。やれやれ。

落ち着いてきてつらつら思うに、仕事から来る疲労やストレスが原因で免疫が低下して、帯状疱疹になったのだろう。それなら、仕事をもっとスムーズにこなしたり、ストレスと付き合う方法を学んだりする必要があるかもしれない。例えば、前々から興味だけはあった『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』なんかを読めば、仕事の段取りがうまくなるのかも。蔵書検索をフリーワード「ストレス」で検索すると、多種多様な本がヒットするけれど、タイトルを見てストレスマネジメント的な本を見繕って、また読んでみることにしよう。


以上、せっかく図書館に勤めてるので、人生のイベントのなかで、図書館とそこで得られるノウハウをどう使うか(大げさだけど、図書館で課題解決、的な)を、いろんな方に知ってほしいなあ、と思って書いてみました。

地方カタロガー(似非)の悲哀

レファ協の事例を見ていると、ユニークな件名や内容細目が入力してある館のWebOPACで検索して回答にたどりついた、っていうのがある。例えば、これ。

 

昨年くらいに「マッサン」のモデルの人が日経「私の履歴書」で連載されていたのだが、それを見たい。 | レファレンス協同データベース

 

この事例では、東京都立図書館のWebOPACで、内容細目としてタイトルが入っていた『私の履歴書』の竹鶴正孝分が見事ヒットした例。まあ、最近は、NDLサーチで事足りることが多い(ありがとうございます)ので、あまり気にしなくなったけれど、以前は、どこそこのOPACだとこういうのがヒットする、という知識はホント重要だった。

ちなみに、ウチのWebOPACにも、ささやかながら、地域資料の一部にはローカルな件名や内容細目を入れてるのだけれど、そこに問題発生。ウチで使わせていただいてる某商用MARC、たまにデータ更新がある(受賞情報とか内容細目が変わってるらしい、意識したことないけど)。で、ウチでローカルな要素を入力した書誌に更新がかかると、データが上書きされて、せっかく入力した自館分が消える事案が発生。やれやれ。

システム事業者さんと、タグに別枠を設けて保存できないか、とか色々検討したものの、結局、目録に残すのは無理、との結論に。まあ、仕方がないので、目録とは別のローカルなレファレンスデータベースに入力することになった。

資料を探すための情報なのだから、OPACで自然にヒットするようにしたいのだけれど、うまくいかないもんだ。

メジャーなものがどんどんリッチになる一方、マイナーでローカルなものは失われていく、いずこも同じか。いわゆるカタロガーな人が、絶滅危惧種になりつつある昨今、都立さんとこみたいなユニークなOPACもどんどん減っていくんだろうなあ。

「受付件数ゼロ」のレファレンスサービスを目指して

先日、とある研修で、医療情報支援サービスをやっている図書館の方のお話を聞く機会があった。いろいろ得るものがあったのだけれど、とりあえず一つだけ、驚いて、かつ嬉しかったことを書いておく。

その図書館では、数年にわたって継続的にサービスを行っており、コーナーを作ったり、ブックリストを作ったり、外部と連携して講座をしたり、と、非常にオーソドックスな事業を展開していた。

ところが、その図書館のレファレンス担当によると、最近、医療関係のレファレンス受付が、心なしか「減ってきている」のだという。

課題解決支援サービスを、一時の流行、ファッションととらえる方々からすれば、それ見たことか、と思われるかもしれない。でもこれは、すごいことだ。お客様は、図書館員にわざわざ尋ねることなく、自分でコーナーへ行き、ブックリストを参考に、自分に必要な本を自分で探している、ということなのだから。まさに『地域の情報ハブとしての図書館』のいう「個人の自立化支援」としての具体的な成果だと思う。

具体的な統計データがあるわけでもない、ただの印象に過ぎないのかもしれない。すそ野が広がれば問い合わせは増えるはずで、何のことはない、やっぱりお客様から見放されているのかもしれない。研究者によるちゃんとした調査ができるとよいと思う。

それはともかく、貸出を増やす、来館者を増やす、と、数字が増えることでしか存在意義を示せなかった図書館が、数字が「減る」ことを誇れるようになった、というのは、ちょっと嬉しい驚きだった。

究極の支援は目に見えない、支援されていると感じさせないものだと思う。「レファレンス受付件数ゼロ」を目標とするレファレンスも、夢じゃないのかもしれない。

カット!カット!カット!

昨年末からOfficeのクリップアート機能がさっくり廃止されたらしい。絵柄がバタ臭いのが多くて、しかもみんなが使うもんで被りまくりだったけれど、チラシやポスターにお手軽に使える便利な機能だった。でも、彼女(なのか?)はもういない。代わりに、bingから拾って来てると思しい画像が表示されるようになったが、写真ばかり多くて、数少ないイラストの絵柄も結果的にさらに微妙になったようだ。余計なお世話ながら、お役所でポンチ絵作ってる人たちの阿鼻叫喚がしのばれる今日コノゴロ。

まあ、この際、きっぱりあきらめて、Webの画像検索で探そうとすると、これまたそう簡単にはいかない。MSつながりでいえば、bingのイメージ検索を使ってね、というところだが、現時点では、日本語版のbingはライセンスでフィルタリングできないみたいだ。さすがに、ちょいと拾ってきたカットを素で使えるほどの度胸は持ち合わせていない。Googleならライセンスでフィルタリングできるので、広く探そうと思えばこれが一番手っ取り早い。でも、ウチの職場からでは、画像検索はできても、アクセス制限のせいで配布元の素材サイトがたいてい閲覧できない……orz。

ならば、地の利を生かす。他ならぬ図書館なら、カット集の類は蔵書でたくさんあるはず、と思いきや、そうでもなかった。最近、CD-ROM付きのカット集なんかは、「CD館外貸出不可」と明記されてるものが多くて、それゆえにあまり図書館では買わない傾向がある(某新刊カタログでも、後ろのページに追いやられてることが多い。ただ、貸出不可の法的な実効性は微妙なところ)。それに、デザインは流行り廃りがあるから、すぐ古臭くなってしまうカット集は、図書館資料としてなじみにくいというのもあるだろう。

それでは、最後の手段で業務用の素材集を買うか、と思ったら、これまた素材サイトの隆盛に押されてか、選択肢が少ない。本+円盤系のやつだと出版点数はそれなりみたいだけど、細分化されすぎてて目当ての絵柄が入ってそうなやつを探すのが大変。八方ふさがり。

タダとは言わない、公的機関向けに、必要に応じて検索して一点ずつ買ったりできる有料素材サイト(クレジットカードでなくても支払えるところ)があるといいのになあ。特に、印刷して使うことの多い図書館のような出先では、改変・印刷可能でライセンスを気にせず使えるカットの需要は少なからずあると思う。キハラさんあたり作ってくれないかしらん(CDorDVD-ROMでも可)。