BEAYS(新装版)

本と図書館のことについて、つらつら書いてゆくblogです。

「国立国会図書館デジタルコレクション」以後の零細デジタルアーカイブ構築に向けて

はじめに

タイトルは釣りです。

さて、光交付金からこっち、デジタルアーカイブを提供してる図書館が増えた(気がする)。じゃあ、他館(よそ)でもすなるデジタルアーカイブといふものをウチでもしてみむとてするなり、ってなぐあいで、予算もないのに自前でなんとか構築しようとして、ハタと困る、何をデジタル化すればいいんだ?

旧家伝来の○○文庫みたいな、いかにも貴重で著作権も切れてて、まるっとデジタル化することに価値があるような資料群は持ってない。古い本はいっぱいあるけど、よくよく考えてみれば、同じのが既に「国立国会図書館デジタルコレクション」(図書館送信資料だけで131万点!)にあるんじゃね? つか、ダブりを避けようと思えば、一冊ずつデジコレにあるかどうか調べないといけないんじゃね?  ……orz。←今ココ。

というわけで、デジタルアーカイブ構築計画がちょっと頓挫している今日コノゴロ(一部フィクション)。キラーコンテンツもない、システム(ビューア)もない、ノウハウもないなかで、今後の再構築(そもそも構築してないが)に向けて夢想したことを書いておく。

構想1:再利用ウェルカムとする

ひとまず、著作権処理の必要ない資料をデジタル化するとして、それ専のシステム(ビューア)がないので、公開ファイル形式はPDF一択になるかと思う。当然、保存も改変もやりたい放題。ならば、最初からどうぞ使ってください、とするほうがいい(もともと著作権ないんだし)。秋田県立図書館の例みたいに、デジタル化された地域資料から商品が生まれたりするとなおいい*1。最近では、東寺百合文書WEBクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを採用して話題になってたので、ぜひ先例に習いたい。CCライセンスの勉強しないとなあ。

構想2:著者や権利者にもメリットのあるものにする

できれば、いかにも古い資料だけでなく、気軽に読める最近の資料も入れたい。でも、商業出版されてるものは権利処理が大変。著作者の権利に加えて書店や古書店のことも考えると、なかなか難しい。ならば、非商用の資料を入れるしかない。

たとえば、地域のサークルや同好会が作っている紙ベースの会報や会誌なんかをデジタル化して公開できれば面白いかも。お年寄りが中心の集まりだと、まだまだWebは一般的じゃないから、紙で細々と配ってる会報をWebで全国に発信します、と持ちかけたら喜んでもらえるんじゃないか。デジタル化の許諾もあっさりもらえそう。あそこがデジタル化してくれる、と評判がたてば、図書館としては、地域資料も集めやすくなって一石二鳥。コンテンツが集まれば、そのうちエスプレッソブックマシーンの類を導入して、図書館がパブリッシャーに、なんて妄想(ゆめ)も広がる。

構想3:役に立つ資料を提供する

デジタルアーカイブで提供されるものといえば、とかく貴重資料になりがち。希少性もさることながら、要は、保存と利用の両立、権利処理不要という提供側の論理が働いてる感は否めない。普通の人が読んで楽しい、使える、と思えるような資料はあまりない(国会デジコレには探すと結構あるんだけどね)。

これまたよそ様の例だけど、上田情報ライブラリーが公開している「インターネット版「注連飾りの作り方」」*2なんかいい感じ。しめ飾りのデザインは地域性が強いので、地元ならではの作り方がわかるとすごくありがたいんじゃないかと思う。

ただやみくもにデジタル化するんじゃなくて、より使ってもらえそうな資料を選んで優先的に提供したい。

おわりに

……とまあ、いろいろ考えてはいるものの、デジタル化の仕様や手法、マンパワーの面でも課題が多く、なかなかすぐにはモノになりそうもない。でも今年度中には何とか形にしたい、との決意表明として、ひとまずこれを書きました。

*1: AEBS 電子出版制作・流通協議会:NewsLetter Vol.10-2「公共図書館のデジタル化」より。

*2:上田情報ライブラリーのトップにはリンクがないみたい。もう公式には公開してないのかな?

変わることを楽しむチカラ

もう巳年も終わり、もうすぐ新年なので、一年の総括と来年の抱負を兼ねて、先日(つか、もうふた月も前だ)参加した"図書館海援隊フォーラム2013"で考えたことを一つだけ。

発表事例は、非常に中身が濃かった。病院と連携してがん情報の市民講座を開いたり、商工農部局とタッグを組んで地場産品の振興に一役買ったりといった、いわゆる課題解決支援サービスの先進事例がこれでもかと紹介されていた。そのあまりの(良い意味での)図書館っぽくなさ、司書っぽくなさに、質疑のなかで、「こんなことができる人材を育てるためには、司書課程で何をどのように教えたらよいのか」、というような質問が、司書養成関係の方から出されていた。

その場の結論としては、伝統的な司書課程や図書館関係団体の研修はこういう取り組みには直接役に立たない、それよりも、マーケティングやマネジメントなど、広い意味での経営学的な知識や技能が必要、というところに落ち着いてたように思う。

まったく賛成だけど、自戒を込めて蛇の足をつけ加えるならば(まだ巳年だし)、努力すれば自分は変われるという考え方、変化を恐れず、むしろ変わることを楽しめる心のあり様を身につけ(させ)ることが大事だと思う。『プレイフル・シンキング』という本でいう、変化を楽しめる「プレイフル」な人材が、これからの業界にはもっと必要なのだ。

最新の事例発表を聞いても、優れたワークショップを体験しても、「すごいなあ、でもあたしには(ウチの部署じゃあ)無理だな」と思ってしまったら先へは進めない。あの人と組んだら、ここをこうアレンジしたら、できるかも!、と思えることが何より大事。しかも、これは資質ではなくて、後付けで身につけることができる「思考法」なので、教育やセルフラーニングが関与できる余地が十分ある。

図書館を取り巻く環境は厳しい。いろいろな要素が複雑に絡み合っていて、自分の立ち位置を見出してそれを保つのが難しい今日コノゴロ。遺していくことが大きな仕事のこの業界は、とかく保守的になりやすい。そんななかで、変化を楽しめる力は、強力な武器にもなるし、身を守る盾にもなるのでは、と思う。そもそも、業界の表看板である「生涯学習」って、生涯「変わり続ける」ことだし。

新年を迎えて年が変わると、人も生まれ変わる、と昔の人は考えていたという(典拠忘れた)。せめて新年の時ぐらい、自分は変われる、変わるのは楽しい、めでたいこと、と思えるようになりたいなあ、と思う、文系男子であった。

蛇足の蛇足。司書(課程)の人は『プレイフル・シンキング』と、『人を助けるとはどういうことか』は読んどいたほうがいいと思う。前者は、状況に合わせて楽しく創造的に仕事をするために、後者はお客様目線でサービスやサポートをするために、とても大事な本だと思う。

ぼくのかんがえたさいきょうのOPAC1.3

OPAC2.0なんてものが唱えられたとき、きっとウチの図書館のシステムも進化(バージョンアップ)すれば、そのうちアレになるに違いない、となんとなく夢想してたものだけど、あれから幾星霜、いつまでたっても1.0のまんま。ベンダーさんに聞くと、「今のOPACの進化形というより、全然別モンなので無理ですよハハハ」とか言われる始末(一部実話)。仕方ないので、現行OPAC1.0でも調整次第で何とかできそうなことを3つほど考えたのでチラ裏的に書いとく。

検索結果は「出版年降順(新しい順)」に表示(+0.1)

ほとんどのOPACの検索結果表示は、書名の五十音順になってるようだ。シリーズものや巻数の多い全集・年鑑がひとまとまりに並ぶ、以外のメリットはない気がする。

新しい本は良い本だ、とまでは言わないけれど、一般的に必要とされるのは、なるべく新しい本。情報はもちろん、活字や体裁が古臭い本は敬遠されることが多い。逆に古い本や古典的な本を探しているお客様はちゃんと発行年月を確認したり、指定したりできる。よって、検索結果の表示順は「出版年降順(新しい順)」がデフォルト。

「見つかりませんでした」じゃなく「カウンターへどうぞ」(+0.1)

あれこれいじってみて「ヒットした資料:0件」「条件にあう資料は見つかりませんでした」じゃあ、探してる本がその図書館にないのか、探し方がまずかったのかわからない。そもそも、どっちもお客様に失望と恥ずかしさを味あわせるだけ。

それより、職員に声をかけてもらえるようにうまく促すメッセージを伝えるべき。できれば、これをもってカウウンターヘダッシュ、的な「お問い合わせ優先受付券」みたいなのが自動で印字されるといいかも。職員に声をかけてもいいんだ、すぐ対応してもらえるんだ、と思ってもらうのが何より肝心。

簡易検索は「フリーワード」一択(+0.1)

OPACの簡易検索画面には「書名」「著者名」「出版社」の三つが並んでることが多い。慣れない人向けに、なるべく枠を少なく、との配慮なのだろうけど、それならいっそのこと、フリーワード枠ひとつで十分では。

特定の著者の本を網羅的に読みたい、とか、この出版社で、書名が何とかいう本、なんて条件付きの(書誌要素が切り出せてる)探し方をしようと思う人は、詳細検索画面がちゃんと使える気がする(要検証)。簡易検索というからには、枠は潔く一つ、書名から内容紹介まで串刺し検索できるフリーワード検索で決まり。フリーワードがなければ、いっそのこと書名のみでも可。

ただ、最近の本は、書名に趣向を凝らしたものが多いから、"株"とか、"犬_飼い方"のような一般的な語をキーワードに検索するとヒットしにくい。こういう時こそ、分類や件名の出番なんだけど、一般のお客様には「ケンメイ、何それおいしいの」状態なので、システムで何とか支援したい。ヒットした資料の件名や分類を何件か先読みして、「"株式相場"で検索してみませんか」とか、「"関係する分類(645.6)"の本を検索してみませんか」とサジェストしてくれるとベストだけど、それこそディスカバリーサービスじゃないと無理かあ。件名とか、うまくOPACに活かせるといいのになあ。

待っていても来ないならこちらから行く(+α)

以上、すでにどこかで実現されてる機能もあるけど気にしない(1.3じゃなく1.003じゃんという批判は甘んじて受ける)。ちょっとずつでも使いやすく探しやすくしていくことで、OPAC1.0からちょっとずつ進化できるのでは。もっとプラスされて1.5ぐらいになったら、四捨五入すれば2になるわけだし。

ちょっとしたカスタマイズで実現したことが、次期バージョンではデフォルトになってる、なんてよくあること。設置しておしまい、あとはリプレースまでそのまんま、棚ボタ的進化を待つんじゃなくて、ベンダーさんと連携(という名のクレーム出し)しつつ、細かなプラスアルファをしていくことが大事だと思う。

レファレンスサービス、君の名は

遅まきながら、『日本の図書館におけるレファレンスサービスの課題と展望』をちまちま読んでいて、おっと思ったことがある。レファレンス質問の受付スぺースの名称に関する分析のところだ。

多くの図書館で、レファレンスの受付スペースの名称や案内表示が違っていることを指摘し、「利用者向けの平易な表現が用いられていること,また,多様な名称が用いられていること」(64p)に一定の理解を示している。そのうえで、同じサービスの名称が図書館によって異なることに「利用者を混乱させることにつながる危険性もある。すなわち,レファレンスサービスを普及させるという点では,デメリットになることに目を向ける必要がある」(同)とあって、そういう考え方もあるなあ、と思った。

レファレンスサービスの根づかなさの理由を、その呼称のなじみのなさ、わかりにくさに求めることはよく云われるところ。で、同書に挙げられている例でも、「「相談カウンター」「レファレンスデスク」「読書案内」「参考図書コーナー」「本の案内」」(63p)等々、各館で様々に「わかりやすくする」ための言い換えがなされているようだ。とはいえ、なかなかコレという決定版があるわけでもなく、わかりやすく言い換えれば言い換えるほど、異名ばかり増えていくというジレンマに陥っている。

もちろん、同書も指摘するとおり、レファレンスサービスの中身自体、図書館によって差があることも大きく影響してるのだろう。

いっそのこと、日本図書館協会がレファレンスサービスの呼称を公募して決めたらいかがか、とか思う。まあ、E電(古いな)しかり、母さん助けてなんとかしかり、お仕着せの名前って、これまたなかなか根付かないもんだけど。それとも、インパクト重視でキラキラネームっぽい四字熟語にしてみるとか(以下自粛)。

ちなみに、最近、巷でよく聞くようになったコンシェルジュって言葉も、かゆいところに手の届くホテルの総合案内人や有能な執事なんかを漠然と想像するけれど、『モバイルミュージアム』によると、創造的な自主企画ではなく、お仕着せの巡回展やお決まりの所蔵品展でお茶を濁している学芸員のことを、フランスでは皮肉をこめて「コンシェルジュ(管理人)」と呼ぶそうだから(p17)、必ずしもいい言葉ではなさそうだ。

呼び方って難しい、と思った今日コノゴロ。

発見を生む図書館

"CA1798 -本と出合える空間を目ざして―恵文社一乗寺店の棚づくり―"を読んだ。良かった。

決まった本を素早く的確に探せるような検索性や利便性は、オンライン書店、大型書店に任せて、モノとして魅力にあふれた本をセレクトし、一定のテーマでゆるく並べる。そうすることで、お客様が「「知らないことすら知らなかった」世界に触れるきっかけを作ること」が自分たち中型書店の使命だ、と著者の堀部篤史さんは述べている。至言だと思う。

図書館は、本と人を結びつける場とよく言われる。確かに、その人が求める本を手渡す仕組みや技法、技術はかなり整備されてきているけれど、一方で、その人が思ってもみなかった本にうまく出合えるような工夫の例は、あまり聞かない。少なくとも、個々の営みとしてはともかく、標準化されているとは言い難い。

一般的な図書館の取り組み事例としては、展示が挙げられる。でも、貴重書展のような、ケースを使った展示だと、モノとしての本の貴重さ伝えたり、配置に意味をもたせたりすることはできるけれど、本は手に取ってなんぼ、読んでなんぼ、ケースごしの「出合い」は何か違う気がする。一方、貸出しできるようなオープンな展示だと、本との距離は近いけれど、借りてもらうことに主眼が置かれていることもあって、本の並びから展示担当者の意図をにじませたり、意外な本との出合いを演出したりするのは難しい。

システムでいえば、Webcat Plusのような連想検索は、「出合い」に近いものを既に実現してはいる。でも、その検索結果には、むしろノイジーな印象が強い。検索結果が、モノとしての魅力(=多様な情報)にあふれた本そのものではなくて、書誌情報や書影だけだと、コンピュータの作りだした連想についていけなくて、ハズレ感が強くなるのかもしれない。同じ連想検索の仕組みと実際の棚を組み合わせた、千代田区立図書館の「新書マップ」は面白い試みだったのだけど、残念ながらなくなってしまったようだ。

規則的な配架にこだわらない図書館といえば、六本木ライブラリーBIZCOLIのような会員制ライブラリーで行われていることが多い。わかってる人のための特別なサービス、といった風情。でも、普通の公共図書館でも、意外な本と「出合」えるスペースがある。それは、新刊棚。新しい本だから、というのはもちろんだけれど、最近受入れした本、というゆるいくくりで、全分野の本が一覧できる、というのが大きい。

「書店も図書館も同様、これからは本にアクセスしやすい場所ではなく、思わぬ出合いを提供する場としてその存在意義が問われるだろう。(中略)足を運んでくれたお客様を知の森へと誘い込むため、発見を誘発する「棚づくり」こそが課題となってくるだろう。」と、前述CAの文章を堀部さんは締めくくっている。普通の公共図書館にも「本との出合い」を求めてるお客様がいて、普通の公共図書館なりに、それに応えることができるんじゃないか、社会教育施設として図書館に求められるのは、まさにこれなんじゃないのか、と思う。どこから手を付けていいか、まだ全然見えないのだけど、あたしの中で、これからの大きな課題だ。

ちなみに、「公立図書館の任務と目標」46には、「図書館は,すべての資料が利用者の求めに応じて迅速,的確に提供できるよう,統一的にその組織化を行う。」とある。ここには、お客様が思いもしなかった、顕在的には「求め」ていなかった本も、「的確に」提供できるようにすること、も含まれていると、勝手に解釈している(個人的な解釈の問題なので、エライ人怒らないでください)。

非読書家による「読書案内」

読書案内が苦手だ。

図書館で仕事をしてるからには読書家に違いない、という先入観をもたれやすいのは仕方のないところだけど、飲み会とかで初対面の人と一緒になると、たいてい「おススメの本は?」と聞かれる。そして、この場合の「本」とは、何かしら小説の類を期待されていることが多い。とても読書家とはいえない当方の場合、「申し訳ないですが、日本の小説はあまり読まないのです(マジで)」、とか言ってお茶を濁すことがシバシバだ。

職場のカウンターで同じことを聞かれたときは、さすがに、「どんな本が面白かったですか?」とか、「好きな作家さんは?」といったレファレンスインタビューでなんとかとっかかりを見つけて、それに合うものを探すのだけれど、それにしてもうまく答えられた覚えがあまりない。

何しろ、小説の類を探すときには目録検索が通用しないことがほとんど。同じ作家の著作を探すのなら問題ないけど、「これと似たような小説」を、と言われたときにどうするか。

分類番号でも件名でも、その小説の中身まではわからない。MARCのあらすじや内容紹介も、最近は充実してきたけれど、ストーリーのさわりを紋切り型に紹介しているだけで、検索するにはキーワードが少なすぎる。結末が明るい話を探すとか、ほぼ不可能。

『絵本の住所録』のような、定番のレファレンスブックやツールもない。ジャンルごとのガイドブックは星の数ほどあるけれど、それ自体が読みもの的だったりして検索性の低いものが多い。日外アソシエーツの『読書案内』シリーズなんかは、小説に特化したものは90年代刊で、ちょっと古い感じ。絵本のように長く読み継がれるものが基本書として存在するわけでもなく、流行り廃りが激しい上に、あまりに多様で一冊の文量も多い小説の類は、ツール作成者泣かせではある。

レファ協にて「読書案内」で検索してみると、やっぱりそれらしい事例は少ない。2つ紹介してみる。

「85歳の母が病院(入院している)で読む小説を紹介してください。ミステリ、時代小説、暗い話、ホラーは読みません。」(日進市立図書館)

入院されているお客様のためとあって、暗くない話を、との心づかいはさすが。ただ、どうしても「自分が読んできた中でいくつかピックアップ」という方法を取らざるを得ないのがつらいところ。

「「ヘンリーくん」シリーズと同じくらい面白い本を紹介してほしい。8歳の娘のクリスマスプレゼント用にしたい。娘は同シリーズを読破し、台詞を覚えるほどに読み込んでいる。去年のプレゼントの「ロッタちゃん」は面白くなかったそうで、一度しか読まなかった。ケストナーはいまひとつ、レオ・レオニは嫌い、松岡享子は好き、「ハリーポッター」はわりと面白かった、と好みがはっきりしている。」(福井県立図書館)

児童書だけど、いかにもな事例なので紹介。「「ヘンリーくん」シリーズと同じくらい」って、ハードル高いな。まあ、お客様の好みがはっきりしていると、絞りやすくて助かる。でも、「自分では手に取らないけど、薦められて読んでみたら面白かった」的な、セレンディピティ体験もして欲しくて、選ぶ方としては悩ましいところ。この事例では、主にブックリストと同僚の意見から選んでいて、おそらく調査者自身の読書体験も選定の判断基準に含まれていると思われる。

登録事例が10万件とっくに超えたはずのレファ協でも、主だった事例はこれくらい。せめて事例の共有くらいしようよ、と思う。登録されにくい(=記録されにくい)のは、自身の読書体験が、調査や資料選択の根拠となっていて、客観性・再現性がないためかな、とも思う。

読書案内を求めているお客さまの方にも、たくさん本を読んでいる(はず)の司書ならではの生の声を聞きたい、「司書であるあなたが読んで面白かった、私におススメの小説」が知りたい、という期待はあるはず。カタログやツールから客観的に選んだ本は、そもそもお呼びでないのかもしれない。

児童サービスの鉄則の一つとして、とにかく絵本・児童書を読む、というのがよくいわれる。結局、読書案内のためには、仕事としてとにかくたくさん本を読んでね、ということか。まあ、どんだけ読めばいいんだ、という話ではある。

書評家やブックディレクターと呼ばれるような人たちはもちろん、書店員さんも、たぶんプロとして、自分の好みに関係なく、無数の本を読み続けているのだろう。司書だって、自分の商材と無縁であるわけにはいかない。でも、読書経験の多寡にかかわらず、オススメ本を効率よく探して提示する技法やツールを駆使できるのが、本を探すプロってもんじゃないのか、とも思う、今日コノゴロ。

レファレンス記録を書く、ということ

レファレンスの何がしんどいって、事後の記録を書くのが一番しんどい。

回答とその典拠はもちろん、後で他人が見てもその調査を再現できるように、調査メモを見返しながら、あるいは経過を必死に思い出しながら、調査戦略(みたいなもの)とその結果を時系列に整理して書いていく。調べたけれどもあえて回答しなかったことや、時間切れで未見だけれどこの資料にありそう、みたいな情報も追記する。他の仕事の合間に細切れに調べたり、壁にぶつかってヤケクソでブラウジングして、たまたま回答らしきものにたどり着いたりすることが多いから、調査過程を整理するだけでも一苦労だ。

ただ、すごくタメになっているなという気はする。一連の調査の流れを見渡したとき、ここはまだ突っ込みが足りなかったなとか、後でこれを見たら載ってたから、先にこっちに喰いついたのは非効率だったなとか、記録を付ける段になっての気付きが多い。ツールや方法論を身につけること、調査やインタビューの実戦経験を積むことももちろん大事だけれど、レファレンス記録を書くことによる学習効果は馬鹿にならない。

たまたま今読んでる『プレイフル・シンキング』という本にも、自身の行動を後から振り返る、つまり「省察」することとの重要性が挙げられている。また、自らの体験を「アウトプット」することは、インプットされた知識や情報を自分なりに咀嚼する「創造的借用」が行われる、とある。結果として自他共に学ぶことができるというわけだ。

一人のお客さまに満足していただいてそれで終了、なんてもったいない。記録し、共有、自館サイトやレファ協で公開することによって、自分も、図書館も、そしてより多くのお客様の学びにつなげることができる。

と、自分を鼓舞しつつ、めんどくさいレファレンス記録をしこしことまとめる今日コノゴロなのであった

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